(半蔵門だより)

メディア・コンパス

[集合]の時代へ!

 現在でも電線網は全世界に張り巡らされているらしい。そして、海底電線も敷設されている。しかしながら、全世界に張り巡らされている通信網は電線のみではない。インターネットはローカルネットワークの集合体として考えると、これも全世界にほぼ張り巡らされていると考えていいのかもしれない。また、これらのネットワークをカバーするようにあるいはこれらのネットワークと重なるように、通信衛星の打ち上げによって全地球の通信網がカバーされているように思われる状況であるようである。
 したがって、今日1台のパソコンとそれを組み入れるLANケーブルによって、全世界に通じうるネットワークになっているといってもいいのかもしれない。気候変動や磁気嵐のような地上の状況だけでは避けられない宇宙的影響を除けばである。しかし、これらの変動要因は、可能性としてはさけられないが、地上の日常にとっては、あるいは日常生活にとっては、直接に日常生活を支配するようなものはない。
 なぜなら、今日の常態が前提とされる限り、日常の要素は大きく変わることはないからである。もし、それが変わるとすれば、今日の常態がわれわれの常識を超えた要因によってもたらされなければならないであろうからである。
 天災、自然災害、異常な気候変動といったものが今日のコロナウィルス騒動のような、限界が見えないが大きく生活環境を変えるような動地などは過去の歴史から見れば対処することは難しい事態であるが、これらは今日の社会常識、あるいは科学常識からはみ出ている状況であるとはいえないであろう。それにもかかわらず、われわれの生活上では不安は拭えない。
 むしろ問題なのは、インターネット網におおわれた地上の常識常態がその中に住んでいるわれわれにそれほど親しい文化でも経験でもないということであろう。その意味では、われわれは、インターネットの晦冥あるいは闇にいる状況からなかなか出ることはできない、不安に住んでいるということになるだろう。
 時代の不安を払拭するには、新しい[集合]のテーマが必要である。
例えば、コロナ禍はどうすれば解消するだろうか。あるいは解消しないのであろうか。今日のコロナ禍のような天災は、地球上を包み込んでいくであろうし、各々に地域によって対策は立てるに違いないが、これらの対策はしかし、一律に行われることはないであろう。今日われわれが経験しているように、対策や政策は為政者の目にある主観によってもたらされるのであって、専門家の分析や思考によってもたらされるものではないし、為政者にそのような卓見があるとは考えにくい。そして現実には、現象と施策には絶えずタイムラグがあり、そのラグの底に多くの人々は陥ることが多いからである。

2020年9月4日 引地正

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